「推定無罪の壁」?

 刑事事件では、被告人の言い分は「苦しい言い訳」であることがほとんどである。被告人の言い分が多くの市民から「なるほど!そのとおり。」と思われるような場合は、そもそも犯罪にならないことが多いし、検察官も起訴しない。

 検察官は有罪を立証できるという自信が十分あるときに限って起訴するので、逮捕されても結局起訴されないという場合も多い(厳密にいうと犯罪だけど大目に見るという場合もあるが…)。

 

 そういう訳で、起訴されて裁判になった事件では、冒頭陳述での検察官の主張は「なるほど!ごもっとも。」と受け止められるものがほとんどになる。

 そのうちの8割以上は自白事件といって、被告人自身も罪を認めている事件である。要するに「検察官のおっしゃることはそのとおりです。被告人も反省しておりますし、かくかくしかじかの事情もあるので処分については考慮して下さい。」と執行猶予を求めたり、軽い刑を求めたりする事件である。

 

 残った1~2割の事件が、否認事件といって「自分は犯人ではない。」とか「確かに相手を殴ってケガをさせたが、正当防衛が成立する。」とか犯罪の成否を争う事件になる。冒頭に述べたように、検察官は十分な自信を持って起訴しているので、あくまで個人的な感覚だが、否認事件の場合、野球の試合にたとえると最初から5点ビハインドで試合が始まったようなものである。また、検察官は決して弱い相手ではないので、弁護側の失点も免れない。失点を最小限に抑えつつ、最終的には7対7とか8対8の引き分けを目指して弁護活動をする。

 なぜ、引き分けでいいかというと、野球の試合と違って刑事裁判では引き分けなら弁護側の勝ちということに法律上なっているからだ。「推定無罪」とか「疑わしきは被告人の利益に」などという。常識に従って判断して、検察官の有罪の主張に合理的な疑問が残れば無罪なのである。

 

 しかしながら、引き分けでは有罪判決になってしまうというのが現実である。「推定無罪の壁」は思いの外高い。最低でも3点差ぐらいで被告人側が勝っていないと、無罪判決の獲得は難しいというのが個人的な感覚である。

 理由としては、裁判官が自身の常識で判断して(ある種の決め打ち)しまい被告人の言い分を素直に受け入れてくれないとか、マスコミで大騒ぎされた事件では無罪では社会が納得しないとか、裁判員も裁判官に遠慮してなかなか対等な議論ができないとか個人的に思い当たることは色々ある。刑事事件をやっている弁護士のなかには刑事裁判は「推定有罪」だとハッキリ言う人もいるし、それこそ5対10くらいのワンサイドゲームで徹底的に勝たないと無罪はとれないと言う人もいる。

 

 個人的には、「推定無罪の壁」が高いからこそ刑事弁護にやりがいを感じている面もあるのだが、冤罪をなくすためにはもう少し「推定無罪の壁」を低くして、裁判官も裁判員も被告人の言い分に何の先入観もなしに素直に耳を傾けて欲しいものである。