去年の4月から、北海学園大学で刑事弁護の実務を教えている。授業のベースになっているのは、日弁連がやっている法廷技術研修である。法廷技術研修には、私自身が教えられることもとても多い。夏には、東京で行われる法廷技術研修を受講する予定である。
いま、「弁護のゴールデンルール」(キース・エヴァンス著・高野隆訳)という本を読み返している。裁判員制度が始まった平成21年前後に購入した本だと思われる。当時、よく解らなかったことが、いまでは理解できる。法廷弁護士を続ける限り何度も読み返すべき本だと思う。
日弁連の法廷技術研修は、「弁護のゴールデンルール」やNITA(アメリカの法廷弁護士の研修所のようなもの)の研究成果に負うところ大であると思われる。しかし、日本の裁判員制度は、アメリカやイギリスの刑事裁判制度とは異なっている。一番大きな違いは、裁判官も市民と一緒に審理にたずさわることである。
裁判官は公判前整理手続(裁判員裁判を始める前に行う準備のための手続)を主催し、事実上事件に対し、予断と偏見を持っている。また、裁判員経験者の意見を聴く会に参加したり、議事録を読むと、裁判員の中には、裁判官を先生のように思っている裁判員経験者を目にする。「時間割があって、それに従って評議が進行するので、とても安心できました。」とか「裁判官は、何も解らない私のためにとてもていねいに、難しい法律問題を説明してくれました。」といった発言を目にする。教師と生徒の関係では、対等な議論などできるはずはない。
また、日本人の国民性には生真面目な側面がある、アメリカ人やイギリス人ほどアバウトではないのだ。
日本の裁判員裁判の上記のような特徴に対応するためには、アメリカやイギリス流の法廷弁護活動そのままでは、ダメだと思う。
裁判員制度が始まって早8年、この点に関する研究は緒についたばかりであるが、この点に関する研究を私自身もすべきと思うし、法廷技術研修の講師の方々にも早急に研究成果を発表していただきたいと思う。
コメントをお書きください