ジョン・グリシャムの小説のファンである。彼の小説はザ・ファームなど多数映画化されているから、ご存じの方も多いのではないだろうか。
彼の小説の主人公は弁護士であることが多い。それも、バツイチだったり、借金を負っていたり、あまり格好いいとはいえない人物である。
それが、ひとたび法廷に出ると断然格好いいのである。敵の証人を切り裂く反対尋問、陪審員の前で行う立て板に水の弁論(プレゼンテーション)などなど、あんな弁護士になりたいとあこがれたものである。法廷で活動することを主たる業務にしている弁護士を「トライアルロイヤー」(法廷弁護士)という。
私は、平成6年に弁護士になったのだが、グリシャムの小説に出てくるような活躍は、当時日本では不可能であった。アメリカと違って陪審制ではなかったし、刑事事件の法廷は大量の書類を裁判所に提出する儀式の場となっていた。私は刑事事件が好きで、札幌に登録替えしてからはそれなりに刑事事件を担当しているが、当時は弁護士の腕の見せ所というと、示談とか犯人に反省を促すとか、それはそれで重要な仕事なのだが、地味であり、グリシャムの小説バリの活躍など夢であった。無罪の主張をしようにも、犯人に有利な証拠は全部警察や検察に押さえられているし、国選で弁護士がつくのは起訴された後なので、弁護士がついたときにはほとんど勝負が決まっていた。
平成16年に法律が改正され裁判員裁判制度(平成21年から開始)と起訴前国選弁護(平成18年から開始され徐々に対象事件が拡大)の導入が決まった。裁判員裁判制度とは、一般市民から選ばれた6人の裁判員が3人の裁判官と一緒に犯人の有罪無罪やどの程度の処罰が適当かを裁判で決める制度である。
どちらの制度も、グリシャムの小説バリの弁護士にあこがれる私にとっては願ってもない制度である。私は、裁判員制度の開始前から制度の円滑な運用のための裁判所、検察庁との協議会に加わったし、制度開始前の模擬裁判も担当させていただいた。また、制度開始後は、札幌で5番目だか6番目だかの裁判員裁判を担当させていただいた。日弁連の研修にも参加した。研修でお顔を拝見しただけなのだが、大阪弁護士会のG弁護士は、私があこがれ尊敬する弁護士である。何がすごいかといって、話しているときに絶対に噛まないのである。「えーと」とか「あ~」とかもいわない。まさに立て板に水で冒頭陳述や弁論をなさる。
それから6年、グリシャムの小説バリの活躍をしたいという私の夢はいまだ叶っていない。勉強のために他の弁護士が担当する裁判員裁判を傍聴することもあるのだが、検察官が間違いなく裁判員裁判のやり方について腕前を上げているのに比べ、弁護人は見劣りするのが実情である。検察官は研修や実際の法廷での活動について検察庁という巨大組織が一丸となって対応しているのに対し、弁護人はせいぜい2人かよくても数名で対応するのが限界である。研修会も開かれているが、検察庁のように仕事上の義務にはできないので、参加する弁護士も限られている。
10月に裁判員の裁判を担当することになった。このままでは、また検察官にやられてしまう。そう思った私は、札幌弁護士会の刑事弁護士専用のメーリングリストに自分が作った冒頭陳述の原稿を投稿することにした。他の弁護士の力を借りてでも裁判に勝ちたい。そんな思いであった。札幌の刑弁職人たちから貴重な意見がよせられた。札幌弁護士会の英知を結集した冒頭陳述ができあがりつつある。
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