この歳になっても魚より断然肉派である。私は箸の持ち方がおかしいので、魚を上手に食べられないのである。いまだに、たらふく肉が食べたいなと思うことが時々ある。
肉料理と言ってもいろいろである。ステーキ、しゃぶしゃぶ、すき焼き、焼き鳥、どれも大好きだが、この季節、道産子ならやはり野外でのジンギスカンであろう。
子供の頃(昭和40~50年代の話である。)、ジンギスカンはご馳走であった。誕生日、クリスマス、お祝い事の食事はジンギスカンが定番であった。しゃぶしゃぶが食卓にのぼるようになったのは、しばらく後のことであったと思う(当時は、牛肉の輸入自由化など無くて、牛肉は高級品であった。)。
我が家には食べ盛りの男の子が2人(私と弟)いたから、一度に2~3キロは食べていたのではないだろうか。父親の勤務先の慰安会もジンギスカンであったと思う。おぼろげな記憶ながら、釧路の近くにある大楽毛(おたのしけ)まで、国鉄(当時)の鈍行列車に乗っていき、そこで父親の職場の人たちやその家族とジンギスカンで宴会をしたように思う。
当時は、今のように冷凍技術も発達していなかったのであろう。生ラムなんていうのは無くて、肉を円筒形にがちがちに凍らせたものを薄くスライスしたのがジンギスカンであった。ラムはちょっとお高めで、マトンが主流であった。当時から松尾ジンギスカンなどのタレに漬け込んだタイプのものもあったのだろうが、地元の釧路では一般的ではなく、円い冷凍スライス肉を鉄鍋で焼き、タレにつけて食べるのが主流であったと思う。タレも今のようにいろいろな商品が出回っているはずもなく、ジンギスカンといえばオレンジのラベルのベルのタレと決まっていた。大人数の宴会の時は、缶入りの大容量のタレがあったと記憶するが、ベル食品のホームページで見たところ現在ではペットボトル入りになっているようだ。
ジンギスカンはやはり大人数でワイワイ言いながら食べるのが楽しい。これも記憶が曖昧だが、小学生の時、野球同好会の打ち上げか何かでジンギスカンを食べた記憶がある。その時は、部員の父兄のどなたかが大きなトタン板を持ってきて、トタン板の上で、肉を焼いて食べた記憶である。
また、高校の時には、学校のストーブ(石炭式)でジンギスカンだか焼き肉だかをしたことも記憶にある。
そういえば、弁護士会でも私が入会した当初は、アサヒビール園かどこかで懇親会をやっていたものだが、これだけ会員数が多くなってくると、なかなかそのような機会もなくなってきた。
子供も大きくなってしまい、なかなか屋外で大人数でジンギスカンを食べる機会が無いのだが、この夏、一度ぐらいは野外でお腹いっぱいジンギスカンを食べてみたいものである。
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さわした (土曜日, 09 5月 2015 17:46)
あの丸い肉、懐かしいですね。バナナとともに、誕生日のご馳走でしたあ〜。
しかしながら、たらふくとまで行くと、次の日まで持ち越す年頃になって、満腹中枢が早めに作動する今日この頃です…笑
奥田 (土曜日, 09 5月 2015 18:01)
私もです。昔ならビール園の食べ放題で元を取れたのですが、最近は食べ放題を頼む勇気が無くなりました。
たかはしつかさ (月曜日, 11 5月 2015 09:36)
こういうのを読むと、やめとこうと思ってたまつじんを新千歳空港で食べてしまうことになるわけです。
奥田 (月曜日, 11 5月 2015 18:55)
まつじんめしあがりましたか?私もたまに1人ジンギスカン(まつじん)をします。地下歩行空間の札幌駅近くにまつじんがあり、ランチだと1,000円ちょっとで楽しめます。