証拠は誰のもの

 刑事事件をやっていると、警察の捜査能力はたいしたものだと感心させられる。DNA鑑定や指紋の捜査などはドラマや小説の世界でもおなじみであろう。私の経験上、覚せい剤の密売人の行動確認(張り込み・尾行)を1ヶ月近くも続けていたケースや車で逃走する犯人の逃走経路沿いのコンビニを何軒も回って、それぞれの防犯カメラの映像を回収し、犯人の逃走経路を確定したケースなどがある。

 このように、警察はその捜査能力を行使して大量の証拠を集めるのだが、それらの証拠の全てが裁判で使われるわけではない。極論すれば裁判で検察官が提出するのは、検察官が犯人を有罪にするために必要な証拠だけである。意地悪な見方かもしれないが、犯人が無罪かもしれないと思わせる証拠は、ふつうは裁判には出てこない。警察が集めた証拠の中で犯人を無罪にするような証拠がたくさんあれば、検察官はそもそも犯人を起訴しないので、裁判自体が開かれない。刑事裁判が開かれるのは、検察官は犯人が有罪だと考えている場合だけであり、その場合検察官が請求するのは犯人を有罪にする証拠だけである。

 以前は、弁護人が警察や検察官が持っている証拠を見ることは極めて難しいことであった。そして、弁護人には警察のような捜査能力はないので、被告人を無罪にするような証拠を見つけることは、ほとんど不可能であった(弁護士と親しい探偵が決定的な証拠を見つけてくれるのはドラマの中だけの話である。)。犯人の供述調書を見せてもらうことすら検察官から拒否されることもあった。当時、検察官は、「取り調べでどんな供述をしたかは被告人から聞けばよい。」などと言っていたものだが、取り調べでどんな話をして、どういう記載の調書ができたかなど正確に覚えている人間などまずいない(たとえばあなたが昨日家族や友人とどんな話をしたか思い出してみるとよい。一言一句正確に再現することなど不可能である)。

 裁判員裁判制度の導入に備えて、公判前整理手続制度が整備され、その中で弁護人は、警察や検察官が持っている証拠を一定の範囲で見せてもらうことができるようになった。この制度により、犯人や被害者、目撃者の供述調書は検察官から見せてもらえるようになった。大きな前進である。犯人、被害者、目撃者の供述調書を時系列順に並べて、比較対象しながら丹念に読んでいくと捜査機関がどのような関心を持って捜査を行ってきたかが分かるし、うまくすると、捜査機関側の弱点(証拠の薄い部分)が分かってくることもある。

 そんなわけで、裁判員裁判や事実関係に争いのある事件の場合、私は検察官に対し丁寧に証拠開示を求めることにしている。そうすると下手をすると段ボール箱数箱分の書類が検察官から開示されることになる。如何に検察官が裁判に提出する証拠が警察が集めた証拠の中から厳選されたものであるかが分かる。

 以前と比べると、だいぶましになったと思うが、まだまだ不十分というのが個人的な感想である。たとえば、警察が重大事件では必ず行うであろうと思われる聞き込み捜査の内容に関する証拠や裏付け捜査の内容に関する証拠は開示請求しても認められないことがしばしばである。

 聞き込み捜査、裏付け捜査で犯人を有罪にする証拠が出てくれば、これらは別途証拠として加工されて検察官により裁判に提出される。しかし、聞き込み捜査や裏付け捜査を行った結果、犯人に有利な事実が見つかったり、不利な事実が見つからなかったという証拠は、多くは弁護人にも開示されないまま捜査機関の手の内で消えていくのである。

 警察官や検察官は、「自分たちが苦労して得た証拠は自分たちのもので、敵対する側である犯人や弁護人に見せてやる必要などない。」と考えているのかもしれない。しかし、警察や検察官が誰のために仕事をしているのかよく考えてもらいたいものである。警察や検察の活動費用は税金でまかなわれているのである。私は、警察が集めた証拠は決して警察や検察のものではなく、国民、市民のものであると思う。

 証拠開示の制度はもっと拡大され、市民が参加する裁判員裁判の法廷には、犯人を無罪にする証拠も十分提出されるようになることがのぞましいのではないか。

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コメント: 1
  • #1

    勃起不全 (火曜日, 28 4月 2015 16:58)

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