もうすぐ司法試験の合格発表があります(9月9日)。毎年、この時期になると自分が司法試験に落ちたり、受かったりした頃のことが50歳になった今でも鮮やかに思い出されます。大学3年生の春から司法試験に挑戦し始め、最終的に合格できたのは27歳の秋(平成3年)ですから7度目で合格したことになります。
当時の司法試験は今と違って5月中旬にマークシート方式の短答試験があり、7月中頃に3日間にわたって論述式の論文試験があり、10月頃に口頭試問方式の口述試験があるという長丁場の試験でありました。
最初の頃は同級生もおおかた落ちるので、精神的にそれほどへこまないのですが、同級生の多くが短答試験に合格し7月の論文試験を目指して勉強に精を出している時期に自分だけ短答試験に落ちてしまうと5月の段階で来年の10月まで試験に合格する可能性がなくなるわけで精神的に大変へこむのです。
私の場合、短答試験が得意な方ではなく(7回受けたうち4回短答試験で不合格になっています。)、合格した前の年も短答試験でアウトになりました。合格した前年ですからそれなりに実力もついており、手応えも感じていた時期でした。それが5月の時点で夢を絶たれるわけですから、あたりまえですが結構落ち込みました。傷心で実家の釧路に帰り、ファミコン(初代のやつ)でドラゴンクエストに没頭した記憶があります。
また、当時はバブル全盛で、一般の企業に就職しようと思えばそれほど苦労せずに就職できた時代でもありました。そういうわけで司法試験に落ちますと、司法試験をあきらめて就職するのか、夢をあきらめずに頑張って勉強を続けるのかという20代の若者にとっては人生の岐路ともいうべき重大な決断を迫られることになります。
さらに、一緒に勉強していた受験生仲間も司法試験に合格したり、司法試験に区切りをつけて一般企業に就職したりして少なくなっていきますし、最後の頃には、勉強を教えてあげていた後輩が自分より先に合格していく(仲間内ではこの状況を「送りバント」と称していました。)という精神的に大変つらい状況となります。
今の司法試験も合格するのは簡単ではないですが、私の頃の司法試験は精神的に打たれ強くなければやってられない試験であり、自分も結構打たれ強くなったと思います。
私の場合、親が法律関係の仕事をしていたわけでもないのにどうして司法試験を受け続けたかというと、生来負けず嫌いな性格であったことと、傷心で帰省する際、新幹線の車窓から見る町並みに生活のにおいが感じられ、そこに住む普通の人々の役に立てる仕事がしたいと思ったことが理由でしょうか。
最後の年の論文試験に合格したときは、うれしいというよりも、やっと自分の人生を前に進められるといったホッとした気持ちの方が強かったように思います。口述試験は合格率も比較的高いので勢いで突破できました。
今年で50歳、弁護士21年目となりますが、司法試験に落ち続けていた当時の気持ちを思いだし、少しでも普通の人々のお役に立てるよう
これからも日々の業務に力を尽くします。
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